宮地 亨  年譜
明治42年  >  福岡県八幡市(現北九州市)に生まれる。
昭和 2年  >  日米交歓全国学生コンクールで日本代表作(水彩)に選抜され、「日本学生美術展」
米国会場に出品される(17歳)
昭和 3年  >  佐賀県立三養基中学校(現三養基高校)卒
昭和 4年  >  東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科 入学
昭和 6年  >  在学3年時、帝展に「岬」を出品。初入選(22歳)
昭和 9年  >  同校油画科卒 藤島武二に師事した。
貧困のため帝展制作を断念したが、岡田三郎助に激励と全制作費の援助を受け、以降も
帝展(文展・日展)に入選を続けた。
昭和19年  >  東京山水高女(現桐朋学園)美術科担任教師となっていたが、戦災に遭い、郷里佐賀に
移住する。
昭和20年  >  佐賀県立小城高等学校美術科教諭として勤務。20年~23年、36年~46年まで。
昭和32年  >  日展に「街」を出品。特選受賞となる。
昭和51年  >  創元展に出品した「和」が、会員賞、鈴木賞、船岡賞の3賞受賞となる。
(以降国内展脱会)
同年  >  フランス芸術家協会 ル・サロンに「神苑閑日」を出展し、当時鬼才といわれた
ベルナール・ビュッフェ作「馬」と共に
同展異例の初出品・金賞受賞となる。同会会員に推挙される。
昭和52年  >  ムッフ画廊(パリ)と、ヴァロンフルース画廊(ビヤリッツ)が、ル・サロン出品作
に感銘をうけ、巡回ミヤチ展を企画。日本人初の1ヶ月に及ぶロングラン開催となる。
同展を、パリ美術評論誌「アポロ」が出品画「カンヌ」と共に掲載し、絶賛した。
フランス国際展サロン・ドトンヌ・フォーヴ派礼賛展に「雨後」を出品。
第1位 フォーヴ賞受賞
昭和53年  >  ギリシャ美術展に「飛翔」を初出品し、金賞を受賞(アテネ国立近代絵画館収蔵)
昭和55年  >  サロンド・ドトンヌ会員に推挙される。
昭和57年  >  サロンド・ドトンヌ「翔」会員特選受賞
昭和58年  >  同展「薄暮」連続会員特選受賞
佐賀県芸術文化賞受賞
この年に設立された、ヨーロッパ科学・芸術・文学アカデミー会員に推挙される。
平成 元年  >  「文化の功績」により文部大臣表彰を受ける
平成 2年  >  フランス芸術家協会ル・サロン会員展で最優秀賞受賞
日本美術パリ・サロン(現代日本絵画代表作家パリ展)にて金賞受賞
平成 9年  >  没(88歳)
  
ページのトップへ戻る